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niwa さんの日記

 
2015
1月 30
(金)
23:39
ICFの『労働と雇用』のなかの「ボランティア」
本文
 新年明けましておめでとうございます。今年もICFの理念と具体的な方法をお知らせできますよう一所懸命、努力します。ご愛読のほどお願い致します。
 ボランティアは、本来、自発的な自由意志による善意で無償の行為としてのgive & giveである。ICFの生活機能分類1,500項目のなかに「ボランティア」は、WHOへの要年次報告6項目の2か所に存在する。

1)第6章:『家庭生活』のなかの「家族・他人へのボランタリー支援」
2)第8章:「主要な生活領域」の『労働と雇用』の「ボランティア」 である。

1)は、家族・同居者間同士が生活協働体として、近所・市内・学校・職場・レジャーなど目的地へ行き、目的を快適に果たすためのボランタリー支援である。 これに対して
2)は、「主要な生活領域」の1教育(d810~d839)、2労働と雇用(d840~d859)、3経済生活(d860~d899)に分類されているなかの『労働と雇用』に、(1)就労、(2)雇用形態、(3)ボランティア
として位置づけられている。その「ボランティア」の説明は、「家の周りの清掃など、個人・グループ・コミュニティにおける無報酬の労働である」 として、一人ひとりの社会参加活動は、日常的に
あたり前の行動としている。
 だれもが、生まれる時も死ぬ時も、だれかの「介護(care)」が不可欠で有り、取り巻く5環境因子(6月22日付:ICFの全体図参照)のなかで、自助(セルフケア)・共助(ボランティアによる助け合い・共生き)・公助(国の司法・立法・行政による健康福祉をはじめ社会サービス・制度・政策)の相互連関によって、生命を保ち、健康を維持しながら暮らし続けている。そのため人間は、だれもが加齢すればするほど「No one’s perfect」とICFの人間観を実感することになる。
 近年、大手企業の職員が、営業開始前に出勤して、職場の周りや道路の清掃をしている光景は、参加している個人の好・嫌の感情や企業側の意図はどうであれ、あたり前の社会活動であるボランティアとして、活動がより広がることに、大いに期待するのである。
 とりわけ、地震大国日本は、一人ひとりが、どこに住んでいても運の良悪ではなく、「災害・事故時の救命・救急・生活必需品の確保」は不可欠であり、自助⇔共助⇔公助の連関を意識して、社会サービス・制度・政策の抜本的な法律と具体的な対策を創造することに、積極的な行動によって実現しなければならない。
 しかし残念ながら、日本に暮らす一人ひとりの住民はじめ、行政担当者や為政者は、祖先が警告を込めて次世代に託した「地名」も、地道に警告し続けている専門家の警告を軽視し、為政者・行政担当者の管理し易い数字に置き換え、事前対策重視よりも、とかく大地震や大事故が起きてからの事後対策に終わりがちな現状である。
 その根底には、日本は法治国家である。という個人の意識が育まれていないうえ、自助(セルフケア)や共助(ボランティア)に無関心と無自覚のまま、地域の公共機関や諸施設が、どこに所在しているか。も知らない大学卒の男女が多くいること。さらに、個人や家族のなかには、地域社会の煩わしさから開放されたい。と広い一軒家や億ションと言われるマンションに住み、町内活動はもちろん、行き逢った人との挨拶もしない。あるいは出来ない人間が増加している。道路に集積されたゴミ袋は、カラス軍団に破られて悪臭を放ち散乱している光景や、それを跨いで通る人、服装やスタイルは紳士・淑女らしい男女が、せわしげに通行しながら喫煙し、いとも簡単に吸殻を捨てて平気なご仁も多く、全国的にゴミ屋敷が広がって、ご近所の苦情もなんのその、平然としている人が増加中である。
 これらの現状は、人間が一人では生きられない社会的動物であること。を忘れた結果である。親も専門家も「そんなに立派な人間ではない」と謙遜する人がいるのも事実であるが、「No one’s perfect」! ダーウインは「強い者や賢い者が生き残るのではない。ただ変化し適応した者が生き残る」と遺しているように、一人ひとりの成人が人間として成長するより良い方法はhabilitation(人間の衣を纏う)が出来てこその高等教育であり、学び続ける大切さを礎にした社会人を目指さなければ、子たちは見習わないであろう。
 アメリカやカナダでは、「災難や急病や事故時に遭遇した窮地の人を救うため、無償で善意の行動を取った場合、良識的かつ誠実にその人のできることをしたのなら、たとえ失敗しても、その結果につき責任を問われない。」という趣旨の「良きサマリア人法」と云う法律がある。
地震大国日本は今こそ、このような法律を成立させなければならない必然性の時代を迎えているのではないであろうか。
ふる雪や いやちこ吉事 今朝の春 Kuniko     続きは次回に!
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